・祭り&浅草

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【 お祭り 】 エトセトラ   (下部に「浅草」)

2010・AUGUST 25・26・27日記より 『夏祭りの思い出』

8/25

イメージ 『石原裕次郎』

祭り・初日
    

実家は 市の中心地。

町内のお祭りは
8月25.26.27日と決まっていました。


三日間だけ 繰り出される神輿と盆踊り。
毎年 それはそれは楽しみでした。



町内の有志が組む 盆踊りの中心、象徴となる櫓。

組んだ櫓の見張りはもちろん夜通し!

町内を取り仕切っていた叔父は 若い衆を率いて
毎朝一番、陽が昇る頃に
「江の島」の裏の岩屋へ
この神輿と櫓へ奉納するための”わかめ ”を採りにいっていたそう。

見張り番や、当番は全て叔父の一声で決まった!


回忌の集まりで、
当時「子分だった」という おじちゃまから聞かされた話。

叔父があってこその祭りだった、と言われました。






近所に薪屋さんがあって、そこのおじちゃんが毎年弟や
隣組の男衆と子供たちに ぞうりを編んでくれたっけ。

 

優しかった近所のおじちゃん、おばちゃん、懐かしい・・・



男の子はハッピにわらじ
女の子は浴衣に下駄

鼻筋に白粉で白線を塗り、
赤い口紅で目張りを入れるのが習わしでした。

朝から、ウキウキ ワクワク


早く夕方になって欲しかった。

  


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26日・祭り なか日


祭りの立て役者

もうひとりの叔父は
若い頃、当時珍しいドラムをやっていて、
(我が家の納屋には、ずっとフルセットがしまわれていた!)

●昨日の日記の「嵐を呼ぶ男」・石原裕次郎さんと写っているようなフルセット●


東京から里帰りした その叔父が櫓へ上がり、
盆踊りに合わせて太鼓を敲くと
いつもの曲がまるで違うMONOのように活気づき
それはそれはイキイキ変身、

心も躍ったものでした。


いつも お洒落でいなせだった叔父。



この叔父の「祭り太鼓」が、

リズム、って   音楽、って
音、って 凄い!!  と感じた原点だったかもしれない。


  

どこまでも器用な人がいるもので
その一人が叔父だったのでしょう、

納豆のかきまぜ方、魚の食べ方(残し方)までもが
リズミカルで美しかったのが、子供心に鮮明なり!

8/26

私のイメージ・・   どこまでも・静謐な・叔父でした。





いとこや、縁のある人が集まり、
泊まりにくるのも楽しみのひとつ。

そこそこな家ではあったけれど、
よくぞ何家族もが泊まれたものだと今更ながら感服。


布団や食器や、大鍋や・・・
全てを揃えて、管理もしていたわけだから。

祖母と母の力。


  
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祭り 楽日




この宵だけは
日頃 姑に仕えた母も夕方から手縫いの浴衣に着替え、
盆踊りに参加。



毎年、楽しそうで浮き立っていた雰囲気を子供心に感じていました。


ひときわ若い母だったので
周りの人から決まって「お母さん、綺麗ね。」と声をかけられ、
私はいつも気恥ずかしかった・・・



祭りに参加した子供にはキャンデー券が配られて7時に終了。



10時まで踊れる大人時間に入りたくて
うずうずしたものでした。




父は・・・といえば、
役員で町内のために朝から本部へ詰めて、ひたすら奔走していた!




口には出さねど こんな父や母、叔父たちが誇りでもあり
心の中で、ひそかに、  自慢でした。






    

みなさんも、お祭りの思い出 きっとありますよね~


大事にしたいね。



2012 7・14
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『浅草寺 五重の塔』

孤立との違い  孤独は慣れるもの


守る伝統 断つ慣習


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『紙芝居』の おじさん


*浅草*   ・・ 出身地・ですね

★ YOU ARE THE ONE ★


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二度と撮れない画像

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浅草:東北記念館?のような展示場所でー 【 ねぶた 】




      
















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